松下愛子プロフィール

初めまして、こども英会話教室 CHA CHA CHA江坂校の講師の松下愛子(まつしたあいこ)(旧姓:茶円)と申します😆

1983年生まれの大阪府羽曳野市出身、娘は2018年、息子は2021年大阪府生まれ。息子の出産後、職場復帰し、その後退職し、2024年こども英会話教室CHA CHA CHAをオープンしました。

CHA CHA CHAとはChance Challenge Changeの略です!生徒さんがChallengeできるChanceを提供し、子どもも大人も社会も変えていくという意味が込められています。

このブログは、「子どもには英語を喋れるようになってほしい!」と願っている日本全国の親御さんと、教室の生徒さんのために、私が『本当に役に立つ』と考えていることを共有したいと思って立ち上げました。

このプロフィールページでは、講師の私がどのような人生を送りながら英語を取得してきたのかの体験談や、現在の息子の英語力。そして、このブログや教室にかける想いなどを綴っていきたいと思います。

私の人となりを少しでもお伝えできればと思います☺️

私と子どもの英語力

私は、今でこそ英会話講師をしておりますが、かつては日本の英語教育のせいでただただ頭でっかちにになり、文法が『合っているのか』ばかりを気にして、「自分よりもっと英語上手な人がいるし…」と話すことが出来ない典型的な日本人のひとりでした😱(詳細は後述)

現在4才4ヵ月の息子は、英語で話しかけると理解しており、英語で返事が返ってくることも多いです。娘は英語を2才からスタートしていましたが、現在はあまり英語に触れることができておらず挽回したい!ところです。ただ、小さい頃からスタートしたので英語耳となっており、こちらが言ったことが分かっていたり、リピートするときの発音も良いです。

2人共、日常生活・おもちゃを通じてたくさんの英語を覚えてきました。

もしかしたら「英会話の先生の子だから喋れるんだよ〜。」と思われるかもしれないのですが、そういうわけでもありません。

私がこのブログであなたにお伝えしたいのは、『日本人夫婦が、日本にいながら、子どもを英語が得意な子に育てるのは不可能ではない』ということです。

夫婦共に英語が苦手だからと言って、お子さんの英語力を諦める必要は全くなく、お母さん・お父さんの働きかけ次第で、子どもの可能性は無限に広がるということを知ってほしいのです。

前向きになっていただけると思いますので、まずは私の苦悩の英語人生をご覧ください↓

英語と戦ってきた私の人生

幼稚園の時

私の母は短大の頃アメリカへ留学し、その後旅行会社で勤めていました。母は外国が大好きで、映画もよく家で見ていましたし洋楽もよく流れていました。洋画はいつも字幕。

そのため私は幼いときから英語を浴びて育っていました。

2才の私と、0才の弟

小学生の時

私が初めて「英語を喋りたい!」と思ったのは、確か小学校低学年の時でした。

ひらがなを習い始めて字を覚えるようになり、自然と「英語も書いてみたい」と思っていました。ですが、英会話には通わせてもらえずでした。英語のおもちゃや教材なんかも持っていませんし、小学校での英語授業も当時はまだ始まっていません。

雰囲気で書いてみたアルファベットを忙しくしている母に見せて「合ってるやつある?」と聞くと、「ない」と冷たく返事をされたのを今も覚えています笑。

同じマンションではハワイ出身の先生が英会話教室をされていました。うちと同じシーズーを飼っていたので仲良くさせていただいていました。

その英会話の先生がハロウィンパーティーをしてくださるとのことでお誘いを受けました!

はじめての英語遊びがとっても楽しかったのです。私は魔女の仮装をしていきました。その先生を見て「わたしもいつか英語が話せたらなあ」素敵だなと思っていました。

小学生のときにきちんと英語に触れたのはその1回のみでした。

中学生の時

そして、中学の時待ちに待った英語の授業です!「やっと英語が勉強できる!」と教科書に食いつき勉強しました。

ベーシックな文法が分かってきたときに、習った英語の文章を使ってALTの先生に休み時間にいつも話しかけに行っていました。

“What do you think about the car accident of princess Diana?”

とイギリスのダイアナ妃が亡くなったことをどう考えているかとイギリス人の先生に聞きに行ったのを覚えています。

そしてディズニー映画を観に行ったとき字幕を見なくてもセリフがなんとなく分かるようになっていたのです。

(我が家は字が読めないときから、映画は字幕でしか見せてもらえませんでした)

高校生の時

高校生になり、難しい英文法が出てきました。わたしは英文法が苦手で、成績は…20点台なんてことも。

わたしは英語が話したいんだー!」という気持ちと、英文法という絶対に避けては通れない壁との葛藤。

英語のスピーチコンテストにチャレンジしたくて立候補し落選。

2年生のときに大阪府のオーストラリア留学プログラムがあり立候補したら「3年生に譲ってあげて、来年もあるから」と先生に説得され譲るも、翌年は開催がなかった、本当に悔しい気持ち

など英語ではとても辛い思いをしました。

子どもの頃から絵を描くのが大好きで、大得意だった私は美大にいきたい!と親に伝えたらダメだと言われ、

じゃあ他に好きな英語の道に進もうとなりました。ここで、絶対美大だ!と食い下がらなかったのは、英語もすごく好きだったからです。

短大生の時

英語を本格的に学ぶために、大阪女学院短期大学英語科へ入学🎓

実は4年生大学の外国語大学を受けましたが不合格。でも大阪女学院短期大学のパンフレットを見たときに「これやーーー!!」とビビッと来たのです。今思い返してもここで大阪女学院を選んだのは大正解でした。

当時の大学生のイメージは『4年間遊んでるだけ』だったので、お金も時間も無駄にしたくない私は、「厳しい」ということで有名な大阪女学院短大に行くことにしたのです。

なんと、死ぬほど英語を勉強した2年間でした。今思い出しても泣きそうなぐらい忙しかった。

朝は早く行って短大の図書館が開くのを待つ、帰りは図書館が閉まるまで学校で勉強。借りた本が重いので、スーツケースで学校に行ったことも。

常にpaper(レポート)に追われる日々。paper明けはみんなすっぴんで髪の毛ぼさぼさです笑。

飲み会なんてもちろんないです。食堂でディスカッションしています。

常に英語に触れていたくて、イギリス人の先生が顧問をしている合気道部に入り、クリスマスシーズンにはアメリカ人の先生が顧問をしているハンドベル部へ。

学校から帰る時もネイティブの先生を見つけたら追いかけて一緒に帰る。

日常はあまりバイトができないので、夏休みはホテルでバイトし、外国人のお客さんが来たら対応させてもらってました。

そんな環境で、英語を追いかけまくって過ごしました。それでも1年の頃は、たまたま上のほうのクラスに入った私は「できる」人たちに囲まれて、あまり英語ができない方に所属していました。発音の授業でもなかなか思うようにいかない。留学してからは…それは後ほどお話しましょう。

しかし先生にも友達にも大変恵まれた2年間でした。

その後就職するか、日本の大学に編入するか、オーストラリアの大学へ編入するか迷いました。

他の友達が小論文の勉強をしたり、面接に行ってるのを脇目に、ふらふらーと過ごしていました。

オーストラリアに行こう!と決めたとき。「とりあえず日本の大学も受けておこう」と思いました。国際問題に興味があった私はとある大学に行きたかったのですが、すでに前日に願書締め切り。残っている大学を2つ受けました。

それも、受験勉強はせず、前日に図書館で時事問題について本を1冊読みました。

受験当日でた問題は、私がその時短大で一生懸命勉強していた北朝鮮拉致問題について。英語の文章を読んで意見を英語で書くという問題。「いただきました」です。大阪女学院2年生が15人受けて、15人合格でした。

ということでたまたま受かった関西学院大学総合政策学部に行くことになりました。高校のときは逆立ちしても入れなかったであろう大学に2年間がんばって勉強した結果行くことができました。

大学編入時代

4年生大学は私にとって正に「異文化」でした🎓

学生たちの勉強へのやる気、食堂のおっちゃん、事務員さん、先生。すべてが短大時代と違っていました。

大量の単位を2年で取らないといけないのですが、就活があるため実質1年でほぼ単位を取らなければならず。毎日1~5限の授業。

国際経済のゼミに入った私は初回の授業で先生から「え、君こんなことも知らないの?何勉強してたの」と言われ、いきなり壁にぶち当たりました。

2年間他の学生よりも専門知識は遅れているので、「やっていけるのか」と悩みました。ネイティブの先生の国際政策の授業などもあるので、必然的に英語を使うことになりました。日本語でも分からないことを英語で勉強するという辛さを味わいました。

帰国子女や留学生もいました。帰国子女の学生とは、日本語をお互い話しているのに、なぜか通じ合えなかったりして「言葉ができるだけでは、人と人のコミュニケーションは取れない。お互いを理解することや、相手の立場に立つことでやっと話ができる」と感じました。

私はゼミで無線の研究を大学院生とし、フィールドワークなどを行っていました。全然知識のなかった、国際政策や経済、無線技術について勉強しました。卒業研究で作った無線マニュアルはその後1つの授業となり、私のマニュアルが教科書となりました。

大学生の2年間、小学4年生の女の子の家庭教師をしました。2時間の授業のうち、半分はお勉強、半分は遊びをしました。このときが人に教えるのが楽しい!と思ったきっかけです。

ここでも貴重な2年間を過ごすことができて、いまでも先生や友達と交流があります。

アメリカとイギリスへ留学

アメリカの大学へ留学&ホームステイ

短大1年のときオーストラリア留学に申し込みました。するとあの9.11の事件があり、すべての留学がキャンセルとなったのです。待ちに待った初めての海外だったので、どうしても行きたかったので悔しかったです。

そして次の年、アメリカ留学に行けることになりました。

場所はカリフォルニア州モントレーのモントレー国際大学に1か月。大阪女学院のプログラムなので、このプログラムもとっても勉強が忙しくて有名でした。

私はアメリカ軍のパパがいる黒人ファミリーのところへステイしました。家も、アメリカ軍の方々が住むエリアで、入り口にゲートもありました。

お世話になったホストファミリー

初日は何を言ってるのかも分からず、何と返したらいいのかも分からず。子どもとならコミュニケーション取れるかなと1才の男の子がプラレールで遊んでたので電車をさわるとDon’t touch!!!と男の子に怒られる。パパの英語はフィラデルフィアの黒人なまりで何を言ってるかほぼ聞き取れない。

あんなに勉強したのに、なんて無力❕初日から泣きそうでした。

ボランティアが盛んな町モントレー。自然にも囲まれ、ちょっと田舎の素敵な町です。

大学では町のボランティアを研究し最後にプレゼンするというプログラムを受けました。1人のボランティアのインタビューをして録音したものを持ち帰り、文字お越しする宿題がでました。どうしても話せるようになりたい私は4人のインタビューを取り文字起こしをしました。

日本人の友達をいるときも英語で話すように心がけました。夜はフィラデルフィアなまりのパパとテレビゲームで遊んでいました笑。すると1週間ぐらいでかなり理解できるようになってきました❕

1か月の期間だったので慣れたころに帰ることに。

しかし帰ってからは、耳もよくなり発音もよくなり、短大の授業のテストでも100点が取れたり、成績がぐんと良くなりました。

大学時代にイギリスへ留学

大学3年生のとき、イギリスのオックスフォード大学へ留学しました。2週間という短さでしたが、オックスフォードの寮に住み、同じプログラムに参加している日本人とイギリス人と一緒に学びました。

空港からのバスでオックスフォードの学生が話しかけてくれました。

!?何言ってるか全然分からない。Could you say that again?

やっぱり分からない。イギリス人の先生と話し慣れていましたが、方言ぽくなると本当に分からない。

このときに、短大で習ってきた英語は「とても親切な英語」だったのだと思いました。英語と言っても、アメリカ英語、イギリス英語、インド英語、香港英語…様々な英語があります。ただ単にきれいなアメリカ英語だけを聞き取れて話せても、英語が話せるとは言えないのです。

オックスフォード大の学生はお酒を飲むのが好きで、寮では毎日お酒をみんな飲んでいました。でもみんなめっちゃくちゃ賢いのです。授業になると切り替わり、すごくできる!しかし、短大時代ずっと勉強していた私はお酒で盛り上がるということにあまり馴染めませんでした。

わたしのチームのテーマは ”Comparing the policy of reconstruction of Iraq between Japan and Britain”イラク復興へ向けた日本とイギリスの政策の違いでした。ジョークも盛り込まれた内容で、おもしろく、深い内容でした。

再度アメリカへ!

夏休みイギリスから帰った私は、「これではいかん!」と、クリスマス前にアメリカのママへ電話しクリスマスからお正月シーズンの2週間ステイさせてもらうことに。

このときは学校には行きませんでしたが、アメリカの家族とたくさん話して英語をブラッシュアップして帰国しました❕

その3か月後さらにオックスフォード生との交流

オックスフォードの思い出から半年後、今度はオックスフォードの学生が関西学院大学にやってくるプログラムです。メンバーはお互いそのままです。みんな2週間寮ですごします。

アメリカでブラッシュアップしてきた私は「通じるーー!」嬉しい❕という気持ちに。

メンバーの中でも特に仲良くなった3人がいて、よく遊び話しました。冗談も言えるぐらいになりました。ある意味自分の英語に自信がついたから気楽に話せたのだと思います。語学習得はスキルも大事だけど、やっぱりコミュニケーション。それと自信を持つことがとても大事だったのです。

フランスでホームステイ

大学のゼミの先生が、フランスとのご縁のある方だったので、私も自然とフランスに興味を持っていきました。

卒業シーズンとなり、先生にお願いして、フランスのパリでホームステイができるところをご紹介いただきました。「1人旅だー」と意気込んでいたのですが、私がパリに行くことを知ったゼミ生が3人一緒に行くことになりました。

ステイ先は、旦那様がフランスの官公庁の長官さん、奥様が国営大企業の副社長さんというエリート一家です。息子さん2人は私たちと年が近い。家族の食卓の会話は、私たちが分かるように英語で話してくれました。

内容は「トルコはEUに加盟すべきか」「養鶏場における、最適なケージのサイズは」などです。

「大阪の人口は何人?」などもポンと質問されます。

はい、学生は全員が話についていけず固まっています。

一緒に行ったのは、帰国子女の子たち。でも会話になかなか入れないのです。私もなんとか旦那さんや奥さんと会話をしようと必死でした!

このときに気づいたことは、英語がどれだけレベルが高くても、コミュニケーション取れなければ使えないということです。語学は対人に対してつかうものです。ただのツールなのです。

大事なのは中身。

どんなことを話すか。引き出しがどれぐらいあるのか。

文法や発音も大事ですが、一番大事なのはコミュニケーション力

日本人の私たちはこれを忘れがちではないでしょうか?人目や成績を気にするがあまり、文法や綺麗な発音にばかり目が行ってませんか❓

日本語習いたての外国人が2名いたとして、1名は綺麗な日本語を話すけど全然話してくれない、もう1名はまだまだ日本語はつたないけれど、どんどん話しかけてくれる。

あなたはどちらの人と話したいでしょうか?

私なら日本語は間違っていても話が盛り上がる人と話したい、そして応援したい

失敗してもいい、笑われてもいい、間違ってもいい!

それでもその場でその人に「勇気をもって英語が話せるか」ということなんです。

一生懸命話せば相手には必ず伝わります

英語とは離れてしまった社会人生活

こんなに英語が好きだったのに、大学を卒業して社会人になり、英語を話す機会がなくなりました。

ケーブルテレビの会社に入った私はものすごく忙しくなり、英語どころではなくなりました。でも、レベルを落としたくないということでとある大手英会話教室のレッスンを申し込みました。そして仕事で忙しくしている間にその英会話教室は倒産してしまい。40万円が無駄になってしまいました。

一生懸命やりすぎる性格もあり、仕事が多忙で体調を崩し、なんどか転職を繰り返しましたが、そんな時にモンゴルへ行くきっかけがありました。

無職だけどモンゴルへ!

27歳のときモンゴルへ行くことになりました。

私は18歳のときからフリー・ザ・チルドレン・ジャパンという団体でボランティアをしていました。カナダのクレイグという男の子が12歳で作った団体です。「子どもでも世界を変えることができる」というモットーのもと、世界中の子どもの支援をしています。ジャパンでは、フィリピンやケニア、モンゴルなどへ学校を作ったり、児童労働をしていた子ども達の支援などをしていました。

わたしは子どもの頃から国際協力に興味があり、大人になったらボランティアをしたいと思っていました。大人じゃないとできないと思っていたんです。高校生のときに、クレイグの話をテレビで見て、稲妻が走るような感動を覚えたんです。クレイグは私と同じ年でした!

わたしもやりたい!と思い、短大に入ったのをきっかけにインターネットが使えるようになったので、代表の方にコンタクトを取りました。関西には支部がない、でも大阪に1人メンバーがいるから一緒に活動してということでした。

大阪では児童労働反対のデモをしたり、国際協力イベントに出展したり、募金活動をしていました。

イベントで再会した大阪女学院の恩師

そして27歳のとき、仕事も見つからず、どうしようかと悩んでいるときに、代表の中島さんから「ちゃこ、モンゴルに一緒にいかない?」と誘ってくれました。お金もなかったけれど、「いきたい!」という気持ちでモンゴルへ行くことになりました。

高校生たちがチャリティコンサートで集めたお金で、モンゴルにゲル図書館を作ったところだったのです。

私は図書館のオープンセレモニーに行き、さらに周辺の働く子どものインタビューやご家庭訪問、遊牧民ところへのホームステイをしました。遊牧民の家以外は、ウランバートルで現地NPOを運営している日本人の方の家に泊めてもらってました。

ゲル図書館のセレモニーに来た地元の子ども達

初めて働く子どもと出会い衝撃を受けました。4才の子がティッシュを売ってました。幼稚園に行ってみたいと言っていました。いままで活動していたことと、実際に見たことが繋がり、私の心にしっかりと刻まれました。

遊牧民のホームステイでは、「ああ、ここに住めそうだわ」と思えました。ゴビ砂漠の地平線に沈むでっかい夕焼けを、今の我が子にも見せてあげたいです。

ゴビ砂漠の入り口では、モンゴルラリー(ヨーロッパから車でモンゴルまでキャンプしながら走るイベント)に参加していたスペイン人に声を掛けられました。5分だけお話したのですが、わたしは英語にまったく触れてなかったので、

「I arrived here yesterday.昨日ここに着きました」というぐらいのことも言えずにいました。

わたしぜんぜん英語話せないようになっている…とかなり凹みました。

でもこの方とはそれから、いまでもずっと友達で、ずっと連絡を取り合っている親友です。

このモンゴルでの経験をきっかけに、わたしはフリー・ザ・チルドレン・ジャパンのメンバーとして、関西の小・中・高校へ出張授業に行くことになりました。

モンゴルをきっかけに、私の引き出しがぐっと増えたような気がしました。

濃い経験をしたおかげで、自信もすごくつきました。

クレイグ来日したとき

無線メーカーに就職

その後、大学で無線をしていたこともあり、無線メーカーに就職しました。

小さな会社ですが、技術はピカイチのザ大阪な会社です!中小企業で集まり日本で初めて人工衛星を作って打ち上げたことをきっかけに、日本からだけではなく海外からも注目されていました。

BBCやアルジャジーラTVなど世界的に有名なメディアが取材に来ていました。もちろん通訳の方も一緒に来ますが、1人だけで、数名のクルーの通訳を担当されるので手が回りません。

会社で英語が話せるのは私だけだったので、取材の対応を社長とすることになりました。まだ会社のことは詳しくなかったですが、社長から「茶円やってみるか?」と通訳の補助を任せてもらいました。

会社案内をして歩いている中で、クルーからの質問に答えたりしているうちに、最後に「日本の女性を代表して、アラブの女性たちにメッセージを話してほしい」と言われました。まさか自分にスポットライトが当たるとは思っていなかったので、驚きました。緊張しすぎて何を話したのかも覚えていませんし、かなりつたない英語だったと思います。

その後も、フランスの企業と仕事をする機会もあり、担当を任され、英語でのミーティングや資料作りをしました。海外案件や、翻訳が必要なことなどがあれば、私に回ってくる環境でした。

バリバリ毎日英語を使う環境ではなかったですが、「自分しか英語できる人がいない」という環境のおかげで、英語に触れる機会をいただきました。

わたしは営業と広報をやっていましたが、この15年間に培ったことが、現在の教室運営にとても役立っています。逆をいうと、この15年がなければ、教室運営はできていなかったと思います。

そしてこの期間中に、フランス語にはじめてチャレンジし、仕事終わりにスクールに6か月通いました。週1回、2時間です。

それが全然話せるようにならないのです。英語は小さい頃から耳を鍛えていたり、短大で死ぬほど勉強しましたが、フランス語は卒業旅行のときに独学したぐらい。語学を始めるときに週1回では全然足りないのです。「現地に行って24時間フランス語に浸った方が早い」と思いフランス語スクールはやめてしまいました。

なぜ『喋れなかった過去』
ココ晒すのか?

今英会話講師をしている私が、自分の喋れなかった過去を晒すのには訳があります。

気兼ねなくたくさん
質問してもらいたい

ひとつは、今講師をしている私でも、喋れなかった時期・苦しんだ時期があるということを知ってもらうことで、『質問してもらいやすくする』ためです。

CHA CHA CHAでは、お家でお母さん・お父さんが英語で話しかけることを推奨しています。

なので、その過程で分からないことがあれば何でも質問してもらいたいのです。

ですが、親御さんの中には「こんな初歩的な質問してゴメンなさい。私本当に英語が苦手なんです…。」と大変恥ずかしそうに質問してこられる方がいらっしゃいます。

(もしくは質問すらしてこられない方の方が多いです。)

なのでCHA CHA CHAでは、親御さんが英語を学びやすいような雰囲気をつくりたいのです。

恥ずかしがらずにどんな初歩的なことでもどんどん聞いてきてほしいのです。

当然親御さんのレベルが上がれば子どもさんのレベルも上がります。子どもたちはお母さんもお父さんも英語を使っているのを見て、自分も使いたいと思うのです。

英語が苦手な日本人夫婦が
英語が得意な子を育てるのは
不可能ではない

自分の喋れなかった過去を晒す2つ目の理由は、冒頭でもお伝えしました、『日本人夫婦が、日本にいながら、英語が得意な子を育てるのは不可能ではない』というマインドになってもらいたいためです。

夫婦共に英語が苦手だからと言って、お子さんの英語力を諦める必要は全くなく、お母さん・お父さんの働きかけ次第で、子どもの可能性は無限に広がります。

私は英会話に通ったことはありませんでした。親から英語で話しかけてもらったこともないですが、家で浴びるように英語を聞いていたおかげで、英語が好きになり、リスニングが得意になり、話せるようになりました。

このブログを読んでくださっている方は『英語が喋れない方』だと思います。

親御さんに、「お家でも英語で話しかけてあげてください。」とお願いすると、

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「自分自身が英語が苦手なので、自分が子どもに教えられることなんてありません…。」

「英語ができない親が、子どもに喋りかけても良いんですか?」

「特に発音が苦手なので、自分が下手に教えることで、子どもの発音まで悪くなってしまわないか心配です。」


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などとと思われる方がとても多いです。

しかし、そんなことは気にしなくても大丈夫です。お母さん・お父さんがお子さんと一緒になって学べばよいのです。楽しんで使えばいいのです。

子どもは大好きなお母さん・お父さんから『教えられる』より『一緒に遊びたい』のです。

現時点で喋れる必要も、『教える』必要もない。一緒になって遊びながら『学ぶ』方が子どもは嬉しいし伸びる。

今イチローが必要か?

想像してみてください💭

「子どもには野球をやってほしいなぁ〜。」と思った時、あなたはいきなりイチロー選手に指導をお願いしますか❓

…恐らくそんなことは誰もしませんよね❓

万が一教えに来てくれたとしても、イチロー選手の能力を持て余してしまいます😓

…そうです。イチロー選手の指導が必要になるのはまだまだ先の話なのです。

まずは親子で公園に行き、大きめのビニールボールをコロコローっと転がすことから始めるのではないでしょうか。これなら野球をやったことのないお母さんでも、大丈夫ですよね⚾️

そして、お子さんの成長に伴い、お母さん・お父さんで役不足になれば次は地元のクラブ!それも超えてきたら・・・というように、指導者も環境も徐々にステップアップすれば良いのです⤴️⤴️⤴️

それに、子どもに付き合って練習するうちに、だんだん親も上手くなっていくはずです。何も最初から完璧なフォームを見せてあげる必要なんてどこにもありません。

英語も野球と同じ感覚です。英語だからといって構えてしまう必要は全くないのです。ビニールボールを転がすレベルで十分なのです🙆‍♀️

むしろ、小さいうちはお母さん・お父さんと一緒に楽しく遊ぶことの方が完璧なフォームを見せるより何倍も効果があります👍

『喋れない』は思い込み?
日本の学校教育の罠

実は、日本のお母さん・お父さんは、「喋れない」と思い込まされているだけで、意外と知識はインプットされています💡

私たち親世代は、中学から高校までで6年間も英語を学んできました。週1〜2回の授業に加えて、予習・復習・テスト勉強までやってきました。

それでも喋れないって一体なんなんでしょう❓

それは、そもそも日本の英語教育は『喋れるようになる』ことを目的としていないからなのです❌

『できる人間とそうでない人間を区別するために・優劣をつけるために』あえて、正解をひとつにしたり、ひっかけ問題を作ったり、ふるいに掛けているのです。

学校では、身についてもいないのに、次から次へと新しい文法を教えられ、一生に一度使うかどうかもわからないような難しい単語をたくさん暗記させられます。

このような教え方では話せないですよね❓

中学レベルの文法と
単語力で十分喋れる

今息子や娘との日常の中で使う単語なんて、ほとんど中1レベルの単語で成り立ちます。文法も中2〜3レベルで十分です🙆‍♀️

なんなら、ネイティブともそれくらいの語彙数で十分会話できるのですが、

日本の英語教育の罠にはまっている私たちは、「喋れない」と強く思い込んでしまっています。満点の答え以外には❌を付けられて育ってきたからです。


ここまで読んでくださった方なら、「確かにそうかも・・・。よし、今日から子どもに英語で話しかけてみようかな…?」と、少し前向きになってくれているかとは思います。

が、気持ちだけではどうにもならないもの。

そこでこのブログと、こども英会話教室CHA CHA CHAの出番です!

こども英会話教室
CHA CHA CHAの出番!

CHA CHA CHAの役目

これまで、何をやったら良いのかわからないばかりに、高額な英語教材をセットでドーンっと買ってしまったり、しかもそれを使いこなせなかったり・・・😱

準備のないまま「とりあえず留学」してしまったりと、無駄なお金と時間をかけてしまったことはありませんか❓

そんな失敗も成功も繰り返してきた日本人の私だからこそ、母親だからこそ、子どもたちに何をしてあげれば良いのかが分かります😊

最初からできる人はできない人の気持ちが分かりません。ネイティブもバイリンガルも、自然に喋れるようになってしまったので、日本人がどんなところでつまづくのか、どういう気質なのか、どういう気持ちなのかが分からないのです。

私は、これからの子どもたちに、「自分のような失敗はしてほしくない!」「英語はさらっと身につけて、その先の【英語ができるからこそ見える世界・体験できること】に時間とお金をかけ、もっと豊かな人生を送ってほしい!」そう思います。

■親子で楽しみながら
■何をしたらいいのかに悩む時間を減らし
■無駄にお金をかけ過ぎずに
■できる限り最短ルートで
■本当に英語を喋れるように、

私の経験がみなさんのお役に立てたらと思います。

「英語ができない(と思い込んでいる)」お母さん・お父さんでも大丈夫です!一緒に頑張りましょう\(^^)/

そしていつか、みなさんと、教室の生徒たちと、息子や娘と一緒に、みんなで海外旅行に行けたらなぁ〜、なんて夢見ています♪

近年では教育現場にも変化は起きていますが、日本の教育全体が本当に変わるのなんてまだまだ先です。

ですので、このブログと教室を通し、少しでも多くの親子が英語を使って豊かな人生を送ってもらえるよう、私も精一杯向き合っていきたいと思います!

最後までお読みいただきましてありがとうございました★

英語のスキルも重要だけど、コミュニケーション力がもっと重要

先に書いたように、英語の文法や発音は大切ですが、それ以上に何を話すか、どんな人とどんな状況でも垣根を越えて恥ずかしがらずに話しかけられるかがもっと重要なのです。

そのためには…

  • たくさんの経験をする。
  • たくさんの人(子どもだけでなく大人とも)と話す
  • チャレンジしてみる
  • 「自分で決めた」ことをやったことでえ自信をつける

ことで、身に着けた英語を使って話せるようになると考えています。

CHA CHA CHAでは、子どもがやりたいと言ったことを一緒にやってみるということをモットーにしています。

「今日はちょうちょつくりたい」と言ったらbutterfly fanちょうちょのウチワを作ったりします。事前に準備していても、子どもの意見が違ったら方向転換します。

週末イベントも開催します。ネイティブの先生とピクニック、畑へ遠足、味噌づくりなど、日常とは違う経験をすることでその子の引き出しを増やしていきます。

こういったことが、英語を話す「中身」となっていくのです。

CHA CHA CHAのブログの使い方

少しでも「役に立ちそうだな、試してみようかな?」と思われた方は、是非【お気に入りに追加】や【ホーム画面に追加】にして、週に1回は開くようにしてみてください。

一気に読んでも、一気に実践はできませんし、長続きしません。

週1回決まった曜日に、レッスンに通う感覚で記事を読み、「今週はこれを集中的にやってみよう!」という感じで活用されると良いかと思います。

何かお困りのことなどありましたら気軽にコメントください。「うちの子、こんなこと言えるようになりました!」というのもとても嬉しいです♪

ここで出会えたのも何かの縁です。

今後ともCHA CHA CHA(ちゃちゃちゃ)をよろしくお願いします(^^)